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青いバラ 2007年03月31日 weavee トラックバック:0コメント:0

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2005年に福岡市の人工島で開催された「アイランド花どんたく」に行った方なら、そこで展示された世界で初めての遺伝子組換えによる青いバラを目にされたことでしょう。
何百年もの間、挑戦者を拒み続けた不可能の代名詞、青いバラをもうすぐ目にすることができるという期待に胸を膨らませ、その崇高なケースを拝むための行列を作り、ところが、いざ目の前にした時、その風船が静かに萎んでいくのを感じたのは私だけではないはず。

世界的に有名なバラの育種家・故鈴木省三氏の 「青いバラができたとして、美しいと思いますか。」 「バラは美しくなければいけない。」の言葉は、あのケースの前で肩透かしをくった人への婉曲な答えのようでもあり、実際に青いバラに関った人でなければ言えない問いかけでした。

謎の解明を仕事とする研究者、或いは売れる商品を開発する企業と、手の届かない世界を想い描こうとする芸術家、詩人、小説家との間で「青いバラ」の存在意味が違ってくるのは当然なことです。交配によって新種を生み出すブリーダーとしての顔と、人々を感嘆させる美しい作品を作り上げる芸術家としての顔の両方を持ち合わせたからこそ、鈴木氏は世界のミスターローズと言われたのでしょう。

ギリシャ神話の時代からイメージシンボルとして扱われた青いバラへの憧憬は、遺伝子学などなかった頃、昔この広大な海の果てには何があるのかと追い求めた人がいたように、この成層圏の先には何があるのかと考えた人がいたように、手の届かない世界に対する畏怖と挑戦の象徴であり、また同時に多くの人々が失敗しblue roseがimpossibleと訳されるまでになるほど、ますますその不可能を可能にしたいという野心となり何百年もの間燃え続けているのです。まるで頂上の見えない山にアタックし続けるように。

明治の文明開化の勢いに乗り、初めて西欧から日本に渡ってきた観賞用のバラは、言葉通り高嶺の花で皇族や官僚など一部の限られた人たちの趣味でしかなく、また震災や戦争もあり、なかなか一般庶民の手に届くようなものにはなりませんでしたが、昭和40年代頃から鉄道会社が大衆のレジャーとして花園を作るようになってから、一気に私たちの間に広がります。それはまさに私が子供の時によく行っていたバラ園のある遊園地、香椎花園のことでもありました。歩いて行けるほど家が近かったせいもあって、6月には必ずバラのアーチをくぐりに行くのが楽しみで、バラの前で撮った写真も何枚か残っています。

熱狂的な花の愛好家の中でもバラの愛好者が多いのは、ドラマティックな長い歴史と無数の人々の深い思い入れがあるからかも知れません。バラの前に、やはり遺伝子組換えでできた藤色カーネーションとは話題性が違ったのは、多額の費用をかけた企業のイメージ戦略以外にもそういう物語の違いが少なからずあったと思いたいものです。

棘で両腕が傷だらけになりながらも一年中かいがいしく世話を続ける友人に、いつかロザリアンとしての想いを聞いてみたくなりました。


not all roses 楽なことばかりではない。
under the rose ひそかに
しかし
come up roses うまくいく


偏った、一部の内容にしか触れていません。
もっと詳しく知りたい方は、最相葉月著「青いバラ」を。
(この本が書かれた時には まだ青いバラは完成していませんでした。)

 
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